本記事は、2020年1月28日に再更新いたしました。

白内障手術といえば、「日帰りでも受けられる安全で手軽な手術」というイメージが広がりつつあります。現在の主流である「超音波乳化吸引術」が日本で広く行われるようになったのは、今から20年余り前の1990年代のことです。

この手術法の登場によって、白内障治療は劇的な進化を遂げ、今日のように安全で、かつ良好な視力を得られる白内障手術が実現しました。

しかし、ほんの数十年前まで、白内障手術は今よりはるかに困難なものでした。手術をするために1週間の入院が必要でしたし、手術自体のリスクも高く、術後も炎症などのトラブルが起こり、望ましい視力を得られない例も珍しくなかったのです。

それでは白内障手術は、これまでの間にどのように進化してきたのでしょうか。あらためて白内障手術の歴史をひもといてみたいと思います。

白内障手術の変遷を振りかえってみると、いくつかの鍵となる技術革新があって、患者さんのためにより良い手術手技や手術器具を研究し編み出してきた先人たちの努力の賜物だ、ということを実感していただけるのではないかと思います。

【14世紀~18世紀】濁った水晶体を針で突いて脱臼させる

白内障治療の歴史は非常に古く、世界では紀元前6世紀頃の古代インドで、白内障手術の方法を記した医学書が残されています。その手術法とは、白内障で濁ってしまった水晶体を針で突き、眼球の中(硝子体内)に落下させるというものです。「墜下法」と呼ばれています。

日本でこの白内障手術が行われるようになったのは、1360年頃といわれています。インドから中国を経て手術法が伝わったようです。

当時は、全く見えなくなるまで治療は行われませんでしたが、この方法で手術を行うと、濁った水晶体がなくなるので目に光がよく入るようになって視界は明るくなり、ものの動きやなんとなく輪郭がわかるようになりました。しかし、このままではピントが合わないため、人の表情もわかりません。メガネが使えるようになって見え方が向上しました。

【水晶体脱臼の図】

この白内障手術は18世紀頃まで行われていましたが、その頃は麻酔などありませんから、相当な激痛を伴うものであったと想像されます。また抗生物質などもないため、感染や炎症などのトラブルも高い確率で起こったはずです。当時の白内障手術の成功率は、わずか30%前後だったといわれています。

【18世紀中頃~20世紀前半】水晶体を丸ごと取り出す「水晶体嚢外摘出術」が主流に

18世紀の中頃になると、ヨーロッパでは解剖学の発達によって、目の構造や白内障についての解明が進みます。そしてこの頃、フランスの宮廷医ダビエルが、近代白内障手術の基礎といわれる「水晶体摘出術」という手術法を開発しました。これは、角膜を大きく切開して濁った水晶体を取り出す外科手術です。ようやく、濁った水晶体を目の外に取り出す手術が始まったのです。

しばらくは、「墜下法」と「摘出術」の優劣を巡り論争が行われましたが、成功率の高さで「摘出術」に軍配が上がりました。

さらに19世紀に入って、ドイツの医師グレーフェが「線状切開法」を開発し、摘出術の安全性が高まりました。「摘出術には水晶体を包んでいるふくろ(水晶体嚢)を残して水晶体だけを取り出す「水晶体嚢外摘出術」と水晶体を袋ごと全摘する「水晶体嚢内摘出術」が併存していました。水晶体嚢外摘出術は水晶体上皮細胞が増殖して残した袋が濁って再び見えなくなる「後発白内障」が頻発したため、「水晶体嚢内摘出術」が優勢な時代が続きました。1960年代になると「冷凍法」を用いた「水晶体嚢内摘出術」へと洗練されていきましたが、その後眼内レンズの発明とともに、眼内レンズ嚢内固定の必要性とあいまって水晶体嚢外摘出術に席を譲ることになります。

【水晶体嚢外摘出術の図】

【20世紀中頃~1990年代】アメリカで「超音波乳化吸引術」が開発され、徐々に日本でも普及

20世紀の中頃になって、白内障手術に大きな革命が起こります。まず1949年に、イギリスの医師リドレーがアクリル製の眼内レンズ(人工水晶体)を発明し、さらに1967年にはアメリカの眼科医ケルマンが「超音波乳化吸引装置」を開発しました。これが今日普及している安全性の高い白内障手術の基盤となります。しかし、開発当時は、どちらも危険性が高いものでした。

1970年代になると眼内レンズの安全性が高まり、「水晶体嚢外摘出術」が白内障手術の主流となってきました。現在も白内障が高度に進んだ場合など一部の症例で行われることがありますが、この手術では水晶体の中身をそのまま取り出すため、角膜の縁を120~140度ほど(長さでは10mmほど)切開する必要があり、さまざまな問題を起こしうるため、医師の技術が要求される術式でした。手術には1週間ほどの入院が必要であり、回復にも長い時間がかかりました。また、大きな創口を糸で縫合して閉じるため、角膜にゆがみが生じやすく、術後に大きな乱視が出て、しかも変化するため術後作成したメガネが合わなくなるという問題がありました。

「超音波乳化吸引装置」の性能と安全性が上がってくると「超音波乳化吸引術」が「水晶体嚢外摘出術」に置き換わっていきました。これによって白内障手術は大きく様変わります。濁った水晶体を超音波で砕いて吸引し眼内レンズを挿入する、という現在の「超音波乳化吸引術」の原型が完成したのです。日本でも、1980年代から「超音波乳化吸引術」が普及し始めました。超音波乳化吸引術により、切開が6mmと約半分になり、術後の回復が速くなり、手術による乱視も軽くなりました。ただし、当時の眼内レンズは光学部の直径が6mmあつたため、それ以上創口を小さくすることはできませんでした。

眼内レンズも1980年代に普及し始めました。それまでは、術後分厚いメガネかコンタクトレンズを用いないと全く見えなかったのですが、眼内レンズを用いるとピントの合っている距離ははっきり見えるようになりました。ピントの合っていない距離も、薄い通常のメガネではっきり見えます。

その後、軟らかい素材で小さく折りたためる眼内レンズが開発され、切開創は3mm前後にまで小さく抑えられるようになり、今日の小切開白内障手術の時代が訪れたのです。創口が小さくなったことで、手術時の感染や術後乱視といったトラブルが飛躍的に減少しました。視力の回復も早くなり、短期間の入院や「日帰り」での手術も可能になりました。

さらに、1992年には単焦点眼内レンズを使用した白内障手術が保険適用となり、「超音波乳化吸引術+眼内レンズ挿入術」という手術法が白内障の標準治療となり、誰でも広く受けることができるようになったのです。

【超音波乳化吸引術】

【2000年代~現在】眼内レンズや手術機器が進化。より質の高い見え方を追求する時代へ

こうして白内障手術の歴史をたどってみますと、水晶体を突いて落下させるという原始的な方法から、近代の「水晶体嚢外摘出術」の開発、戦後の「超音波乳化吸引術」の開発と眼内レンズの開発と、医療技術の大きな革命をいくつも経て現在の白内障手術が確立されてきたことがわかります。

そして、2000年以降のこの十数年間においても、医療技術はさらに進化し、いま、白内障治療は単に「見えない目を見えるようにする」手術から、「生活において快適に便利に見える」手術へ転換する屈折矯正手術の時代になり、さらに「老眼が治る」老眼治療の時代を迎えつつあります。

「遠くから近くまで広い範囲がはっきり見える」機能を持つ「多焦点眼内レンズ」が続々と開発されています。また、コンピューター制御により手術の精度を高める手術支援機器「フェムトセカンドレーザー」なども登場しています。
こうした技術的進化を背景に、いま白内障手術は、単に水晶体の混濁を取り除くだけの手術から、患者さんにとって「より快適で質の高い見え方」を実現するための手術へと進化しつつあるのです。

【多焦点眼内レンズ】

【フェムトセカンドレーザー】

板谷理事長のひとことアドバイス

白内障手術の歴史をひもとくと、現在の白内障手術がいかに凄いかがわかります。白内障手術は日帰りででき、社会復帰の早い手術であることが当たり前になってきました。最近では、近視や遠視を矯正するだけではなく、乱視も矯正できる屈折矯正の手術と位置づけられるようになりました。老眼矯正ができる多焦点眼内レンズの進歩も著しいです。逆に、選択肢が広がり自分に合った選択をしていただくことが大切になりました。

まとめ

  • 昔は、針で目を突いて水晶体を眼内に落下させる原始的な白内障手術が行われていました
  • 近代になって開発された「水晶体摘出術」は、水晶体を丸ごと取り出すために創口が大きく、感染や術後乱視などの合併症のリスクが少なくありませんでした
  • 戦後に「超音波乳化吸引術」と「折りたためる眼内レンズ」が開発されたことで、小さな創口での手術が可能となり、安全性や視力回復のスピードが飛躍的に高まりました(小切開白内障手術)
  • 近年、白内障手術は、単に水晶体の混濁を取り除くだけの手術から、「より快適で質の高い見え方」を実現するための手術へと進化しつつあります

執筆者プロフィール

医療法人クラルス はんがい眼科 理事長 板谷正紀

京都大学眼科で網膜と緑内障の研究と臨床に従事。白内障手術、緑内障手術、硝子体手術などを駆使する術者として技術練磨に勤む。埼玉医大眼科教授、日本眼科手術学会総会長、埼玉県眼科医会理事、埼玉腎・アイバンク専務理事などを歴任。

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